今年も終わりですね。
何も別に年が明けたら日付が変わる以外何も変わらないわけですが、
今年1年ってどうだったんでしょうかねえ、という振り返るポイントとしては、やっぱり区切りって必要なんでしょうね。
今年の漢字は「災」でしたね。確かに私も一発目に思い浮かんだのは「今年は天災だよなあ」と思って「災」の字を思い出しました。
要するに大多数の意見と同じだったわけですね。
そしてその名は具現化する、というわけでもないし、たかだか日本という世界のちっちゃなひとつの国の寺が決めた文字がどう影響与えるわけでもないんですけど、最後の最後に地球に大きな津波が起きました。
徐々にきっと衛星写真など当時のすごさが発表されると思います。
たぶん伝染病など含めて10万人は超える死者になると思うわけですが、日に日にオークションの金額じゃないのに、そんな犠牲者の数の増え方はこの年の瀬という気分も手伝ってもの悲しいもんです。
いつも思うわけですが、1年を振り返るとその年の1月や2月があんまり覚えてないのか、やっぱり印象に残る出来事って3ヶ月くらい前までの話なんですよね。
人間の記憶力ってそんなもんなのかと思えば、何十年も前の出来事を鮮明に覚えていたり。いやあ、不思議なもんです。
結局今年も北朝鮮の拉致問題は解決しなかったですね。
もう数年後までには存在しない国ではあるものの、やはり早く奪還しなければ、、と思うわけです。
横田夫妻とかが老いによって亡くなった時、まだ奪還できていなかった時の国民の憎悪といったら。。
と考えると背筋が寒くなります。
上っ面だけの友好が結局のところかりそめの物だと露わになった中国との関係もありますが、日本人のアイデンティティに強烈な着火と、二つの問題は共通項を持っています。
日本人が日本人たる世界に対する礼節や義が、笑顔や援助ではなく、主張と協調、そして自分達だけでなく、相手の態度あっての友好であるという事に目覚めた時、世界にどう影響を与えるのか興味はあるところです。
結局日本というのはさまざまな外圧がなければ精神的には変われないのかもしれませんね。
まー近所の国と仲良くしてる国って世界の中を見れば全然少ないですね。大抵仲が悪い。
なので取り立てて急ぐ事もないかと思いますが、自分たちのスタンスを明確にするという意味で精算する年に来年はなるかもしれませんね。
まぁそんなこんなで金メダルもたくさん取れたことですし、中でも女子クロールはちょっとビビってしまったわけですが、良いこともあったことはありましたね。
来年のIT投資家達のパリーグもどうなることやらとは思いますが、野球興味ないんでシーズン最初と終わりしか野球ニュースですら見ないとは思いますが、ちと関心はあります。
きっとなんだかんだと来年って大事件も起きたりするんだろうなーとか思いつつ、来年は息子が幼稚園に行っちゃうという新たな出来事に少々落ち着きのなさをもてあます私ではあります。
未来が明るくないから責任持てないから子供を産まない人っていうのはちょっとずつ耳にする事があります。
でもそれは違うと思います。未来に可能性がないからといって次の世代に産まれるチャンスを与えないのは我々の世代の罪だと思うのです。
その可能性のない未来をどう切り広げて可能性を作るのかは、もちろんその時代に生きている人で、その生きているいろんな世代同士でなんとかするものだと思うわけです。
それぞれ可能性を作るのはそれぞれ本人であって親が子供の未来に責任を持てないのは当然です。だって無理ですよ。親はどんだけ努力したところで子供より先に寿命は来るわけですから。
子供の未来の社会に責任を持てないなんて弱音吐く前に、わからない事ならそういうの真剣に考えてがんばればいいじゃんと思うわけです。
それから後悔すればいいとか思うわけです。
子供だって大きくなっていく時に荒波に揉まれると思います。殺伐とした世の中ですから昔よりもつらいかもしれません。
だから親はそういう時に何か手伝える程度であればそれでいいと思います。それで充分、子供は親に感謝しますよ。少なくとも親でもありますが子供でもある私はそう思ってます。
できるだけ良い環境を残す。これは親の義務です。でもそれが前途有望な明るい安全で完璧な未来を提供する事が親の義務ではないと思います。
努力すること。この姿勢は大事だと思うわけです。その行為を見るという事が子供が未完成な世界を作り直す力になると思うわけです。
開拓地はあったほうが冒険者の為になると思う、年末のひとときでした。